2010/03/15

ブログ再開

ずいぶんとブログをさぼっていました。加藤です。
今僕が何をしてるかというと、そう。就職活動です。
きついですねぇ。就職活動…
絵を辞めたのかと思われるかもしれませんが、やめてませんよー
この世界に入って早くも10年たち、多くの方のご協力とご支援のお陰で各地での個展やアートフェアなども経験することができました。
その結論として、このまま美術にどっぷり浸かるのはぜんぜん良くないと思ってのことであります。
ただ絵を描きたいだけならよいですが、(僕の場合)美術を目指したいのであれば収入は別のところから得るのが健全と考えます。
アートワールドから抜け出さなければ、絵はただのお絵描きにしかならないと実感しています。

そんなわけでハローワーク通いな最近ですが、、、が!
ぜんぜんダメですね。就職。29歳美術だけやってた人って、普通に考えたらニートなんですね。まぁそりゃそーだ…
出しても出してもそのまま返ってくる履歴書の山。日付入れてるから使い回しも出来ないし。履歴書は手書きじゃなきゃダメって決めたのは誰だのだ!書くのも大変なんだぞ;;
と言いつつ負けじとハローワークとリクナビにニラミをきかせています。負けませんよー


「やつす」という言葉を聞いた事があるでしょうか。
「やつれる」とは落ちぶれてみすぼらしくなった様子で、「やつす」とは落ちぶれた風にみすぼらしく見せることだそうです。
今日NHKBSプレミアム8で歌舞伎についての特集をやっていました。初代坂田藤十郎は「やつし」のお芝居、和事を完成させた方だそうです。
おちぶれても卑屈にならず、恋に生きる。それはやわらかく色気があります。
いいですねぇ。こういう人は人間的にとても興味深いです。


以前、桜庭一樹砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を読みました。話題にもなったようですが、震えるほどすごい本です。
主人公の兄、友彦は学校にも行かず、働きもせず、家から一歩も出ない引きこもりです。狭い部屋にこもって興味あるものと外の情報を収集し、あらゆることを時間をかけて考える。それはすべての現象に対する傍観者であり、神の視点だと主人公は考えます。
一部の人に限るのかもしれません。でもこれは言い得て妙ではないですか。神の視点で世界を見たことのある人、それ以前に考えるだけのためにたっぷり時間を使ったことのある人がこの国にどれほどいるか。
こんな貴重な経験はなかなかできない。さぁどうです。人生ストレートにいかなかった人の魅力。あるんじゃないですか?

2 件のコメント:

  1. 偶然というか、ループスで絵を拝見してHPに来ました。
    私も絵を描くのですが、趣味です。というか、美大なども出ていないのですが、もし出ていて職業にしていたら、今も絵を続けていたのか疑問です。

    私も、規制があったり義務感になってしまう仕事ではなく絵にむかいあっていきたいと思っているので共感しました。


    私はKatoさんとは比較にならない位へたくそですが、絵を描いたり写生をしたりすることには全然飽きずにいつも喜びを感じていますし、一生他の人や周りのものに関係なく自分の絵、自分の限界というか追及していきたいと考えています。

    Katoさんなら充分絵で生活出来る才能をお持ちだとお見受けしましたが、崇高な美術への追及をなさって益々素晴らしい作品が出来ますように。


    就職活動頑張ってください。

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  2. ほんとにありがたいコメントをいただきました。

    ご存知の通り、もちろん美術として素晴らしいものを作ってそれで生活してる方もほんの一握りいます。それはそれで素晴らしいことですね。
    ぜんぜん素晴らしくないのに売れて生活してる人もいっぱいいます。これはこれでマーケットを活性化させてるのできっと大事なのでしょう。(自分を棚に上げて話しています;;)

    僕が常々思っているのは、美術という世界が僕が好きで入ったのではなく成り行きで辿り着いた終着点かもしれないということです。
    僕はひどい天然パーマです。雨だったり湿気が強かったりすると目も当てられない頭になります。天気に関わらず毎日外に出なければいけない学校や仕事は苦痛です。そして短髪がひどく似合わない。これでは真っ当な職になんてつけません。そこで幼い頃から得意だった絵を活かして美術の世界へきたのかもしれません。そうかもしれないと思うと辛いし、作家のプロモーションとしては言っちゃいけないことですが、今思い返すと美術(美大)に入ったキッカケはこれで間違いありません。くだらないと思われるかもしれませんが、それだけコンプレックスが強いのです。
    美術の世界にはリュック一つで世界を放浪するようなタフな人が結構います。僕はそんな人達は嫌いです。(偏見です。)ドライヤーがないとこでは生活できないよぉと弱音を吐く人が好きです。僕です。話しがそれましたが、そんな社会的?弱さの末に辿り着いた美術世界ですがそれはそれで大事にしたいと思ってます。どんな縁であれ出会って学んで世界の見方が変わったのですから。しかしながら、弱さを気づかなかったことにして甘んじているのが悔しいのです。というのが一つ。

    もう一つは、社会を知らないものが時代を映す鏡を作るのかということです。ずっと前なんかの本で読んだ中に、昔のなんとかっていう哲学者だか思想家だかが机上の空論だけでなくリアルな社会を経験するために何ヶ月だか工場に勤めてその後その間の苦しさや気の狂いそうになった経験を哲学者だか思想家だかの立場から綴ったものがありました。僕はその人を軽蔑します。みんなその苦しい(とその人が感じた環境)でずっと生きていくのです。それをそんな風に書かれてはあまりにも救いがないじゃないですか。人々がみじめなのではなく、その一言によってみじめにさせられたのだと僕は思います。
    美術家が広い社会を知った方がいいのか、自己の内面にのみ探求する方が良いのか、これは確かに議論があると思います。先日もあるギャラリストの方と口論になりました。僕の意見は、一部の天才的すっごい感度(センス、アンテナ)を持ち合わせた人以外は社会を知るべきだ、です。そしてあわよくばその哲学者のようにならないように、現実に身をおき、表現するべきなのではないかと思う訳です。

    と、言ってみたりしましたが、それと矛盾して僕にとっての本当の美術はそれらの言葉を無意味にするアウラを持ってることを知っています。ついでに、そんな僕が就職できるかどうかはまた別の話しのようです…チーン。
    就活頑張ります。心からありがとう。

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