2010/05/05

表現について

子ども(に見える、見えなくもないキャラクターの)過激な性行為を描いたマンガやアニメなど「二次元児童ポルノ」を規制する東京都の青少年健全育成条例改正案について、東京都議会が騒いでいる。
大昔から繰り返されてきた「健全育成」と「表現の自由」問題である。かりにもモノを作る立場として、また教員免許取得のために教育についてちょびっとは学んだ者として「健全育成」には疑問と欺瞞を感じなくもないが、確かに大変ナイーブな問題なのでここで無知な僕が言及することはできない。やめておこう。なので人の力をかりよう。

先日読んだ内田樹さんのブログにこれに関する興味深いコメントが出ていた。
彼のブログは彼のメディアリテラシーによって引用索引自由ということなので、せっかくなので一部を抜粋させていただきたい。

まず原理的なことを確認しておきたい。
それは表現そのものに「有害性」というものはないということである。
それ自体有害であるような表現というものはこの世に存在しない。
<中略>
「有害」なのはモノではなく、「有害な行為」をなす人間だからである。
<中略>
有害性というのは人間を媒介とすることによってしか物質化しない。
だとすれば「有害表現」は「人間が有害な行為を遂行するように仕向ける表現」以外での定義を受け付けない。
では、どのような表現が「人間を有害な行為の遂行に導く」のか。
つまりどのような表現が「ほんとうに有害」なのか。
これについては定説がない。
今回の条例が採用しているのは、「有害な表現は人間を有害な行為に導く」という命題である。
けれども、この命題はトートロジーであり、論理的には何も言っていないのと同じである。
<以下略>


全文はこちら。
言われてみれば、ナットクである。大変ロジカルである。

内田樹さんは「有害な表現」とは何かから始められている。
僕はその前に、あれ。そもそも「表現」ってなんだっけ?というロジックの落とし穴にはまらなくてはならない。

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