2010/06/30

街中ドライブは12時すぎに

先日久しぶりに会った友達と車でフラフラしてた。平日の夜の12時過ぎ。中心街をクルクル回る。明かりに群がる虫みたいに、昔からヒマをもてあますやつがすることは変わらないのだ。
地方都市仙台では平日の終電が過ぎた夜12時には、人はまだらになる。夜開いてる店はカラオケか飲み屋かマンガ喫茶のほかにほとんどなく、みんな家に帰ってるのだ。まぁそれは当たり前だ。夜は寝るものだ。もしかすると最近の田舎の象徴みたいに言われてる中心街からロードサイド大型モールへの移行もあるのかもしれないが、この時間はロードサイドでもせいぜいつまらないファミレスが明け方まで無神経に光ってるくらいのものだろう。それでも街中に残された幾らかの若者はそれらの開いてる店でなんとか楽しもうと頑張るか、アーケードの弾き語りやハンドメイドアクセサリーの座り込み売りに群がってみたりするくらいだ。

車でクルクル回っていると、友達がふいに「みんなどこ行ったんだ?」と言った。それは矛盾と納得を感じる言葉だった。「みんなどこ行った」かはわかってるんだもん。家に帰ったんだよ。帰ってない幾らかの人たちはそこでギター弾いたりその周りをウロチョロしたりしてる。わかってるのに、「みんなどこ行ったんだ?」って言葉は正確にこの場に当てはまった。きっと、僕と友達の言った「みんな」ってのはそこにいる若者たちじゃない。僕と友達は今年で30歳になるんだ。

その友達は高校の同級生で、卒業すると僕は山形の大学に行き、彼は宇都宮の大学に行った。大学が終わると、僕は仙台に戻ってきた。バイトをしたり絵を書いたり本を読んだり、地に足のつかない生活をしている。彼は宇都宮の大学を終えると千葉に移り住み、バイトをひたすらに続け、30手前の今になってそのバイトを辞めた。彼の方がまじめにバイトしてただけまだマシだが、とにかく僕たちは浮いているのだ。
最近僕と彼共通の高校の友達に子どもが生まれた。「みんな」はそこにいたのだ。でも、僕と彼はまだそこに行けない。
ロスジェネを語りたいわけじゃないし、社会が悪いとも言わない。「自分探し」がしたいわけでもないし、「ここではないどこかへ」を望んでるわけでもない。ただ、気づかなかったんだ。あっと思ったら、「みんな」は「そこ」に行っちゃってて、というか「ここ」はどこだよって具合だったのだ。

僕はこれをなげいてない。「自己責任」によって僕は今の「自己」を手に入れたのだから。そしてこれは僕にとって非常に面白い発見だからだ。セレンディピティが反応している。「みんなどこ行ったんだ?」は僕の重要なキーワードとなり、「みんな」の目から見たらまだ「そこ」にいたのかよっていう僕のどこだかわかんなくなっちゃった「ここ」を解くかもしれないからだ。
一つ一つ解いて歩いた人間は面白いやつになるんだ。


かくれんぼの 鬼のままにて 年老いて
誰を探しに ゆく村祭
寺山修司


鬼は人間より強いんだ。
今僕正に、天の邪鬼(あまのじゃく)。
きびだんごを奪い取れ。

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