2010/07/29

3ヶ月目のtwitter

twitterを使い始めて3ヶ月くらいたつ。
使ってきて思うのは、僕にとって話題になってる程コミュニケーションツールとしては使えていないということだ。僕は今までベル友もメル友もやってみたし、チャットもmixiもやってみた。基本的にそれら全部がうまいことできなかったのだ。メル友ができても見ず知らずの相手の趣味に興味はなくメールが続かない。mixiをやってもマイミクの和に波風をたてないようなほのぼのとした日常を日記に書く意味が見つけられない。相手を目の前にした時の話しに問題があるわけじゃないので対人関係がうまくとれない人ではないと思うのだが、ネットにでも何にでも、わざわざ書くこということはそれなりの意見表明を持って書こうと思ってしまうようだ。メールのような特定の人に対するメッセージではないことがさらにそれを強固にしてしまう。では何かしらの意見を書けばよい、という話しなのだが、そもそも僕くらいのぼんやりした知識と教養の持ち主がわざわざ世間様に向かって意見表明すること自体微妙なことなのだ。僕のぼんやりとした意見はどこかの知識人がもっと深いご意見を出している。以前ブログが一般化したくらいから言われている「一般人の日常」を発信することに意味があるのか問題に未だにひっかかっているのだね。なんでもない日常のつぶやきでもなく、意見でもなく、何かを書こうとするとそれはもう表現みたいなものになってきて、外向きに捏造したあぶない自意識のつぶやきになってフォロワーに黙殺されるという困ったものになってしまう。自意識過剰なのだ。まぁそんな自分嫌いじゃないけどね。
ではtwitterも結局使えてないのかというと、そうでもない。僕にとっては「読む」ためのメディアとして非常におもしろい。興味のある知識人や自らの分野のキーパーソンをフォローすることで情報収集ツールとして役に立っている。ブログではその人のある程度まとまった意見を読み、twitterではこまぎれの意見を見ることができる。イベントやニュースに対するリアルタイムなちょっとした感想がきけたり、時には議論がまきおこったりする。また、一般の人のつぶやきも見る分に関しては悪くない。おもしろいつぶやきや興味深いものは大してないが、ファミレスや電車内でこっそり人間観察してるような、ニヤリとするものがある。
購読してるブログもなかなか多くなり、twittrもそこそこタイムラインを追っている。本を読む人が少なくなったがネットやメールの普及で文章と接する機会が増えているというのは実感として当たってる。ただそれはただの情報や日常会話文であって、きれいな日本語や味のある文章じゃないんだろうなぁ。

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